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かあさん、事件です!・・・パート4
 12月24日に第3回の弁論期日準備がありました。 まだまだ先はながいなぁ〜。
 次回は22年の2月10日だそーです。 なにも書けることがないので、お正月の思い出でも・・・。
この時期になるとスーパーの棚は一気に華やかさを増しますね。クリスマスよりもやっぱお正月でしょう。 ^^)
 甘いものが好きなので、お正月にはお手製の金団が欠かせません(キンダンじゃありませんよ!キントンと読みます)。
毎年母の手伝いをさせられて、さつま芋を裏ごししたり、砂糖をいれて煮詰めたりしていたので、今では自分で作れちゃいます^^;)。
 金柑を煮たり、ローストビーフを作ったり・煮豚を作ったり、田作りも昆布巻きも自分で作れますからねー。
 このお正月はお雑煮はどうしようかな?
         2009・12・30
かあさん、事件です! 裁判って・・・。
 11月4日に第2回の〔弁論期日準備〕が行われました。 次回は12月24日だそーです。 クリスマスイブなのに弁護士の先生方も大変です。 しっかし長い!
まずはご報告まで。
 しばらくお休みしておりましたが、例の友人の話し、今日はちょこっとだけ書いてみようかと思います。
しかし、いわゆる”係争中”のためあまり内容に触れるようなことはお話しできないんですよね。
 まあ、彼について少し話してみようかと。ご母堂を亡くされた直後は周囲の人が声をかけるのを躊躇うくらいに落ち込んでいた彼ですが(本人はまったく自覚してなかったようですが)、7キロ落ちた体重も5キロ位戻ったそうで、「ダイエットしなきゃ」と言ってるくらい元気です。
それでも折々にフッとなんとも言えない気持ちになるのだそうです。悲しいのではなく、寂しいのでもない。
曰く、”喪失感”なんだそうです。「あー、いないんだよなぁ」と、改めて1人になったことを再認識してしまうんだとか。
 「この裁判で血の繋がった身内は1人もいなくなった。いや、2通目の遺言書が作られた3月27日に兄弟を、そして4月11日に母を亡くしたんだ。」
悪い奴はここまでの成功に心昂ぶらせて、喪失感や寂寥感を感じたり、罪の意識に苛まれることもなく、枕を高くして寝ているんでしょうね・・・。
頑張れ友よ!裁きの日は遠くない。(かな?)
       2009・11・7
 
   『復活』
 今月の30日は亡くなった母の誕生日です。「亡くした子の歳を数える」のは、やってはいけないことの代表のように言われますが、年寄りの場合はどうなんでしょうか?  まっ、誕生日にかこつけてなんか食べに行っちゃったりするわけですが・・・。
 喜寿のお祝いを兼ねて、那須にお泊りに行った時のことは今でも鮮明に思い出しますね。企画者のカミさんは大っきなお腹をして大変でした。 サプライズでお部屋に花とケーキを用意してもらって、あの時の笑顔は忘れません。
「お父さんも一緒に連れてきたかったね」とは、結婚の遅かった私への嫌みだったんでしょうか? 母さん?
 毎年、母の日や誕生日・クリスマスと、お互いに相手の驚く顔、喜ぶ顔を想像しながらプレゼントを考えて交換してきましたが、今年はもう渡せません。  なのに、思いがけないビッグプレゼントを逆に貰ってしまいました。
 う〜ん、やっぱり親は偉大だなぁ。
 母さん、大好きだった○○、食べに行きますね。
       2009・9・20
かあさん、事件です!パート3
 9月9日(水)に第1回の弁論が郡山地裁で行われました。  次回は11月だそうです、長いなぁー。 まずは報告まで。

 友人の話の続きですが、彼はとうとう”裁判”という形で、ことの真相を究明することを決意しました。
 そもそも彼らはなぜにご母堂が心配するほどに兄弟仲が悪いのか?  まあ、これは彼から一方的に聞いたことなので、事実かどうかは判りませんが、病床の父親に対する態度や未亡人となったご母堂の扱いがあまりな対応であったことが大きな原因だったようです。
 また、私が知る限りにおいての確執は、彼のご尊父が亡くなられた直後から始まっているようです。
 ご尊父の葬儀の際にも死亡広告に弟である彼の名は「掲載しない」と兄上がつっぱね、広告費を領収書無しに折半することでかろうじて名を連ねることができました。
さらに、数ヵ月後、建立なった墓石は相談なしに「数百万円のものだ、半分出せ。」と言われ、「自分や家族が入るわけではない」と断ったところ、「同じ息子だろう」と言われて、『建立者の名を連名にするなら』との条件で百万円を振り込んだのでした。 これも見積もりも領収書も見てはいないのです。しかし、彼の名は刻まれずその後、事情を知ったご母堂が墓誌を建立したときに一緒に名を刻んでくれ、「申し訳なかった」と涙を流して謝られました。

  アッ、時間がないので続きはあとで。
かあさん、事件です!パート3の2
 当人は気がつかなかったようですが、亡くなった方に資産が無い場合はともかく、ご尊父は資産家でしたからご葬儀もお墓もご自分の残された資産で十二分に賄えているはずなので、兄上も自身のお金を使ったわけではないはず??? 事実、会計士のほうからも「一切合財の支払いを終えて、残ったものを遺産として分割します」として、ご母堂と3人で遺産分けしているのです。  なぜ、彼は兄上にお金を渡さねばならなかったのか???  実に興味深い!?
 ご尊父の時も、ご母堂の時も香典帳は兄上が管理して、彼は1度も目を通すことができません。  今回も
 「香典帳を見せてくれ。」そう頼むと、 「絶対にダメだ!」  
 「誰がお悔やみを届けてくれたのか判ら  なくて困っている、中には手紙を入れ  て届けてくださった方もいるはずだか  ら見せてくれ。」、
しかし、伯父からの忠告にも耳を貸さず、未だに兄上は彼に香典帳を見せてはいません。
 これは一体どういうことなのか?これで兄弟仲良く、と言われても・・・。
これらをつぶさに見てくると、どっちが良いのか、悪いのか。
 裁判は論点が違うのでどうなるか判りませんが、”ヒト”としてどーでしょう?
私は彼の言葉は信ずるに値すると思っています。
      2009・9・11
かあさん、事件です!
 11日、待ちに待った手紙が届きました。地裁郡山支部、●●●事件、第◆◆号
第1回弁論期日が9月9日に決まりました!   以上報告まで。
 これは私の友達の話ですが、つい最近親御さんを亡くして兄弟間で相続争いが起こったようです。
 その友達は早くに父親を亡くして、独身時代が長かったこともあり、よく母親と買い物に行ったり、食事に行ったりもしていたようです。結婚後も嫁姑間もそこそこ上手くいっていて、一緒に旅行したり亡くなる前は半年ほどでしたが、同居もしていました。余談ですが彼の父も亡くなる前は彼のところに両親揃って身をよせていましたから、親子仲はよかったんでしょうね。
 そんなお母さんは彼に遺産を多く残してあげたくて、弁護士さんに頼んで遺言書を作りました。ところが、お母さんが亡くなる2週間前に新たに遺言書が作られていたそうです・・・。それも彼には【一銭もやらない】内容で!
 その話を聞いて私は他人事ながら怒りに震えました、私の母が生前よく言ってましたが、「子供はどんなに出来の良い子も悪い子も同じに可愛い」と。まして彼のところは、兄弟仲があまり良くなかったので、彼のお母さんはそれをとても心配していましたから、自分が亡くなった後に紛争の火種をわざわざ残すとは思えなかったからです。
 私は彼に言いました。「お母さんのご遺志ではないと思うよ、キミのお母さんなら心変わりをキミに告げてくれるよ。」
  長くなったので、とりあえずここで。
 次回に乞うご期待。
かあさん、事件です!パート2
 前回の友人の話の続きですが、ご母堂の最後となったこの春の入院で、彼はわずか4週間の入院中に数日泊り込んだそうです。 「最後の夜にいてあげられなかったのが心残りだ。」そう言って彼は涙を流しました。 3日連続で泊り込んだ翌朝、家に戻って朝食を摂るときに「パパ、今日もお泊り?家にいて・・・。」と4歳の娘さんに言われて断腸の思いで泊まりをやめることにしたのだそうです。
「病院から戻ってくるときに、嫌な感じがしたから兄貴に電話して《今日泊まってくれ》と頼んだのに、返事は《行けたら行く》だった。」そうです。”この一両日が峠”と言われているのに、全財産を貰う約束ができている人間の行動とは思えません。他人の私が話を聞いてもそう思うくらいですから、当事者の彼はどんな思いだったんでしょうか?
 葬儀も小さな斎場で1番安いパックでやろうとして、彼が物言いたげに睨みつけたところ、下から2番目のパックにしたそうです。そして死亡広告はおろか、葬儀社で出してくれる(無料)お悔やみ欄の掲載も固辞したそうです!? ここで彼はお金の問題というよりはむしろ、”死”を公にしたくないんじゃないか?そんな雰囲気を感じ、彼は自分でご母堂の死亡広告を掲載しました。しかし、養子の為にご母堂とは姓が異なっていたため関係者にも十分には伝わらなかったようだと残念がっていました。
 しかし、彼の兄はなぜそこまで頑なに”ご母堂の死”を公にしたくなかったのか?
彼は兄のあまりの非情な母への仕打ちと不審な行動にある疑惑を持ち、ついに行動に出ることにしました。
 もちろん、それまでに私を含め多くの方々に相談した結果、1年前の遺言書で彼に7〜8割の財産が譲られることになっていたのに、死の2週間前に作られた遺言書で彼が0%で、兄に100%譲られる内容はあり得ないという意見が圧倒的だったことが彼を動かしました。
 彼は「『真実は1つ』という母の言葉を実証する」その信念が今の彼を支えています。
   続きは     次回。 
送り火
 いやぁ〜お盆も終わりですねぇ。
新盆だというのに母の仏前に参ることもできない私は妻の実家で過ごしてきました。妻の祖母もこの春、私の母よりもひと月ちょっと早くに亡くなっていたので、まあこちらでも新盆ではあったのですが・・・。
 今日妻の両親と妹と一緒に東山霊園に行って、墓前に花を手向けてきましたが、やっぱり恥ずかしい思いをしてきました。
墓守とでも言うんでしょうか?要はその墓の後継者ですが、普通お盆にはよその方がお参りしてくれるので、事前に掃除をしてお花をあげておくものですが、よそのお墓を見渡してもどこも左右対称にいわゆる《対》でお花はあがっているものですし、私も両親からそう教わってきました。しかし、私の両親の墓を後継する人間は母から10余年にわたって注意され続けてきたのに、やっぱり1つの花束を二分の一にして左右に分けてあげていました。ユリの花が1本しかなくて、グラジオラスも色違いで左右に1本しかありませんでした・・・。
4月に亡くなったというのに、母の名前はいまだ刻まれていませんでした。ふつう4カ月もあれば新盆に間に合うように名前を入れてもらうものだと思うんですが。
新しい塔婆も無くお参り下さった方はどう思われたんでしょうか?
 よっぽど私や母が憎いのでしょうか?でもお花は父の時からそうでしたし、お金が惜しいのでしょうか?
とても母から「全財産を相続させる」遺言書を貰った人間のやることとは思えませんけど・・・。母はこの遺言書を作るために末期がんと肝不全で入院中にも関わらず、死の2週間前に朦朧とした意識の中、車いすに乗せられ車に乗せられて公証役場まで連れていかれて3月の寒空の下1時間も外出させられたのですから、せめて花くらいは沢山あげて欲しかったなぁと思います。
 アッ、遅くなりましたが、K島さん・渡辺さん、墓参並びにお花有り難うございました。
また、仏前に手を合わせていただきました皆様には、お迎えしてお礼申し上げることができなかったこと、心よりお詫び申し上げますとともに、厚く御礼申し上げます。
ことに歯科医師会の皆様には今日まで込み入ったお話をする機会がありませんでしたので、ご不審に思われていた方も多いこと
と存じますが、ま、このような訳ですのでなにとぞご容赦くださいませ。
今夜は送り火で母を偲んで泣いてみます。
ああ・・・、新盆
 母が亡くなって4カ月、1度も母の夢を見たことがありませんでした。
それが、初めて夢に出てきて二人で買い物をしていました、亡くなったことなど嘘のように、ホントいつものように他愛ない話をしながら・・・。一休みしてお茶を飲んでいる時、突然母が怒り出したのです!
母:「私がそんなことするはずないでしょ!」   
私:「ごもっとも、そうですよね。」??? なにが・・・。
隣を見ると、《アッ!おまえは》。傍らには奴が平然と座っていました。
そいつを鬼のような形相で睨みながら母は怒っていたのでした。
せっかく久しぶりに楽しい時間を過ごしていたのに・・・・・(怒)
朝食時、妻にその話をしたら「盆の入りよ、亡くなってちょうど4カ月。」
ああ・・・、お盆ですね。毎年父のために迎え火を焚いていた貴女は今年はもういないんですね。
位牌も仏壇もないけれど、私のところに来てくれたんですね。迎え火を貴女のために焚きますね。     合掌。
母の日が・・・。
 ゴールデンウィークも終わって世のお父さん方はぐったりでしょうか?頑張って!もうすぐ週末ですよ(笑)。
 5月と言えば「母の日」ですねぇ〜。思えばいろんな物を送ったっけなぁ、「何にもいらないよ。」って言いながら、貰えばやっぱり嬉しそうだった母の笑顔。美味しい物の食べ歩きが好きだった母。花が大好きだった母。
 先日、義弟からDVDを貰いました。母のビデオを編集してくれたものでした。やっぱ、泣けますねー。ウチに戻ってからカミさんが夜遅くまで戸棚をゴソゴソしていて、翌日に「カヲル先生のビデオ見つかったよ」って、娘の誕生のとき、お正月、初節句に何でもない時、楽しそうな母の顔は今もそこにいるようで。
 「こんな楽しい時間を過ごせたんだもの、遺影やお骨を拝めなくたっていいじゃない」。
まあ、実際のところ遺産を一人占めしてみたって、最後に『嫌な思いで』しか無いヤツよりましか(爆笑)。
 ウチのカミさんなかなか良いこと言います、「泣くな、お義父さんもお義母さんもいるんだから、これから親孝行して頂戴!」
 血の繋がった親も兄弟も無くしましたが、ボクにはそれ以上の義兄弟と両親がいます。
頑張ります!!
安らかに
 初七日もまったく連絡も無く、葬儀以来母の遺影やお骨に手を合わせることもできずにいますが、今日は父のお墓に参って報告をしてきます。
 父が亡くなって12年、やっとまた一緒にいられる時がきました。草花が好きだった2人ですから、お墓には一杯のお花をあげようと思います。1束の仏花を2つに分けて左右にあげたりはしないつもりです。(爆笑)
 時々はお花を届けますから、2人とも安らかにお眠りください。 
 桜 ・・・ すっかり
 初七日も終えて、今日病院へご挨拶に伺いました。
 お世話してくださった看護師さんが対応してくださいましたが、病室の廊下で見慣れた看護師さんの顔を見たとたん・・・、言葉になりませんでした。「お世話になりました、ありがとうございました。」なんとか御礼の言葉を発したときには不覚にも涙がこぼれました。
 家庭があって、子供がいてなんとなく淋しさも悲しさも薄らいでいるような気がしていましたが、やっぱり母親はこの年になっても、どこかで自分を支えていてくれたんだなぁ、などと考えながらの帰り道、例の桜はすっかり葉桜になっていて、後ろのもう1本が風に花びらを散らしていました。
 次にこの桜を見るのは、「オレが入院するときかな?」などと、思ってしまいました。

ありがとうございました。
 4月14日、母大柳カヲルの告別式を無事済ますことができました。葬儀委員長を引き受けてくださった安達歯科医師会長始め、弔辞を賜った県歯科医師会長、お手伝いくださった歯科医師会の皆様、ご参列・ご厚情を賜った多くの皆様、会員・同窓の先生方、真にありがとうございました。
 ご焼香くださる方々のお顔は、母の生前或いは父が健在の頃から存じ上げている方ばかりで、今更ながら亡き父や母の人柄かなぁと胸にこみあげるものがありました。
 密葬にせず、新聞紙上でお知らせできて本当に良かったと思いました。
 遠くから駆け付けてくださった方、弔電を送ってくださった方、励ましのお電話・お手紙を下さった方、今日ほど他人の親切や優しさをありがたいと思った日はありませんでした・・・。
 これから私と私の家族は今日という日を忘れることなく、父や母のように誰からも愛されるよう、また、かけていただいた優しさや思いやりをどなたにも返していけるよう日々心掛けていくつもりです。
 全ての皆様の優しさに感謝して、ありがとうございました。
お世話になった方々へ
 母が生前お世話になった方々へ、母に成り代わりまして御礼申し上げます。
 父の時からお世話になっている西ノ内病院の皆様、殊に10余年にわたって母を看てくださったM先生、入院のたびに「よくしてもらった」と感謝していたスタッフの皆さん、本当にありがとうございました・・・。
 「足が痛い、気分が悪い」といっては、お世話になった近隣のお医者さん。野菜を分けてくれたご近所さん、何かと話し相手になっていただいたオバ様方、その他私が存じ上げない多くの方々、ありがとうございました。
 そして、私の周りの多くの人達にも気を使っていただいて、本当に良くしていただきました。病室までいって、痩せた手足をマッサージしてくれた遠藤さん始め、食事が摂れないと一緒に心配してくれたり、アドバイスをくれたスタッフのみんな。母は本当に幸せだったと思います。私の知る限り、周囲には愛と思いやりを持った方々がたくさんいましたから。
 みなさま、本当にありがとうございました。
  真実   4月14日の日記より
 10回近い入院を繰り返した母、1度も付き添いをしたことのない他人。
 最後の入院で排泄もままならなず、パジャマや寝具を汚してしまう母に自身での着替えを強調する他人、母はナースコールもできないような状態だったのに・・・。
 黄疸で黄色くやつれた顔を気味悪げに眺めていた他人。
 痩せて乾燥した皮膚が痒くて掻き毟り、血が滲んだ身体にクリームも塗ってあげなかった他人。
 体位変換もマッサージもすることの無かった他人。
他人だから仕方が無い。
 なぜ、泣いているの?誰の為に泣いて見せてるの?
他人なのに。 
アナタが泣かなくても、母にはこんなにたくさんの人がお別れをしてくれるよ。
 どうして今母に触ろうとするの? ”触らないで!ボクの母さんに。”
 ボクはなぜ母さんを送ってあげることができないの?

 日記の一部抜粋です、あくまでも”詩”ですから(笑)。

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